最期の時をどこで

先日、身近な人との別れがあり
在宅にて最期を看取りました。

親しい人との最期の別れは、いつかやってきます。私自身もいつか必ずその時を迎える事になります。

「最期の時をどこで?」
普段は考えない事なのですが、自身のそばでそのような事を経験し深く考える機会になりました。

2025年には、65歳以上の国民が3人に1人、75歳以上が5人に1人になると言われております。(いわゆる2025年問題)

病気になっても医療施設の受入れ許容数が足りなくなる可能性や、
コロナ禍の状況化、医療施設に入れても家族と会う機会が極めて減ってしまう事など、考えるほど不安になります。

人生最期の時をどこで迎えたいか。
ある調査によると60%の人が自宅で最期を迎えたいと回答しているそうです。住み慣れた家で、身近な人と一緒にいたいと思うのは当然な事です。

そのような事から在宅医療の重要性がさらに増してくる思われ、私たち住宅設計に携わる者もそのような将来に向け、少しでも考えなければならないと思います。

身近な人、または自身にそのような事が起こった時に、どこで過ごすのか。一緒に過ごす家族はどうなのか。

いつどうなるかは、誰にもわからないのですが、少しでもそのような事を想像し、家づくりを考えると少し違った考えも生まれます。

この家の設計で、どの空間で最期を迎えるか?迎えたいか?
この寝室で良いか?もっと可変性のある大らかな間取りに?
介護者の立場になって、その人の居場所は?ストレスはないか?
具合が悪い時に明るいばかりの部屋では逆に落ち着かないのでは?
少し暗い所があってもかえって落ち着くかも?
水廻りの動線は使いやすいか?
冬も暖かく過ごせるのか?生活音、外部の騒音は?

皆様から家づくりのご要望を頂く際は、
「現在」を中心とした内容が多くを占めます。それも当然のことだと思います。

しかし、冷静に客観的に将来のことを見つめ、ご要望以外の提案させて頂くことも私たち設計者の大きな役割だと思います。

人生の最期をどこで迎えるのか。
大きなテーマになりましたが、皆様も少しだけでも考える機会になればと思います。

岡本 茂揮



瞑想の森 令和3年3月

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